昭和43年5月27日 夜の御理解



 例えば食べ物にでも、非常に見かけは悪いけれども味は良いというのがありますね、皿の後なんかね、もう本当に、あの、怖いような感じですね、汚らしい感じですけれども、味はとっても美味しいです。
 ですから、あれが(   ?   )、もっと素晴らしいでしょうけれども、それとついてまた、見かけはまあ、食べにゃこたえんようにしとるけれども、食べてみたら、とても美味しいくないものはある。不動の人間、または信心と言うものにもそういうようなものがあると思うんです。ですから、そこんところを一つ、いわば、分からせてもらい、または、(  ?  )そこんところを補うていく。
 私はもうと言わずに、そこんところを改めていったり、それを完璧に向かって進んで良くと言うことが信心である。信心とはわが心が神に向こうのを信心のじゃと仰る、神様に向こうて進んでいく。
 目先は悪人、邪人のようにしておるけれども、心は神様に向かうだけじゃいかん、心が神様に向かうなら見掛けもやっぱり神様に向こうにゃならん、ここんとろを一つお互い、自分で心がけていく。ですから、もう誰からでもいい、ね、教えてもらったらそれを素直に直して、じゃいこうというようなその、求道心が必要、求める心が必要。
 自分の心の欠点分もです、分かっておるなら、いよいよそこに取り組まにゃでけん、ところが、なかなか、そういうことは分かっても自分のことは分からんのが普通ですから、ね、自分というものを本気で一つ見極めなければならない。
 例えば、骨董品なんかでもね、もう、見事な器があります、例えば、あの、壺で言えば、あの、好きですから(    ?   )これは素晴らしい、けどそれは惜しい事に傷があるとです、割れとる、(?)どんなにかんしょう、見た目には立派じゃあるというても、ね、どこかにヒビが入っとるといいやもう値打ちがなくて、見て目にもです、もう値打ちがないという感じが致します。
 見た目にも立派である、ね、それは割れとったんじゃいかん、なら割れとるとどういうことになるかというと、結局傷物ということになる。ね。
 ですから、信心でもそうです、人間でもそうです、どんなに半面素晴らしいものをもっておっても、半面が人に、例えば、(   ?   )両面をもっておくとその人は傷物です。傷物では値打ちがないですね、(  ?  )、ね、心の中にある。毒にもならん薬にもならんちうごたる人もありますよね、それでもでけません、いうならば、見かけも悪か、味も悪かと言う奴です、(笑い)これじゃいかん、ね、けれども、私は見かけは悪かばってん、味はいい、見かけは(    ?    )、内心は仏様のごたる心をもっとるというだけじゃいかんです、それでは信心にはならん、自分の欠点をいよいよ分からせて頂いて、それを、ね、いよいよカバーできるにはカバーしていき、ね、改めて行けれるなら改めていくという、私は必要があると思うんです。
 私はここんところに、あの、ここんところに思いをおかない人はもう絶対、向上心がない人です。もうなにをするでも向上心ない人はつまらんです。ですから、向上心がなからなきゃ向上していくはずはない、本当に私はそこをもう少し(  ?  )、少しづつ改めていったら、気付かせて頂いて、精進しておる人方こそが、私は、美しいと思うのです。 
 本当に信心に傷もんがあるという、あの、ね、あれは傷者、ね、神様が見りゃ傷もんじゃったら、傷もんが確かに目をつけて下さる。けど、例えそれは傷もんであっても、それをです、見直していこう直していこう、その傷を治していこうと、本気で決めておるならば、もう決めておる事に対して神様がおかげ下さる。なかなか完璧といったような事はできんにしても、やはり、完璧に向かって進んでいこうという意欲は誰でも出来る。
 食べ物でも、ね、骨董品、壺でも、味わいはよいけど、見かけが悪い。それが見切りがようなった時が本当なんです。ね。
 かんしゅん、見た目には立派であっても傷物だといいや、もう値段もがた落ち、おしいでしょうが、ね、値段ががた落ちになる、値打ちががた落ちになるのです、これでは神様に認められると言うことはありません、ね、だから、先には完璧なものはおりませんけれども、そこんところを一つ本気で精進しようと、言うならば、誰からでも教えて下さい、気がついたら言うて下さいよ、ね、または、急な問題に直面した時にです、もうはあっと気付くところがあったら、はあーこれはと思うたらそれを本気で改まる事に勤めていく、それが信心であり、いわゆる、向上していく人は信ずるというのはそういう、いわば、たいりょである人であると思うんです。
 やはり、求道心、求めてやまんと言う心がいつもなかなけれでけません、繋がった信心が向上しました。本当なものに向かって進むにゃいけません。これは私のくせだ、それをうかつなことに、それではね、もう一生その人は傷者で終わらなければなりません。
                                どうぞ。